8月15日。
第二次世界大戦の終戦記念日である。
この終戦記念日を含めて、中国では10月の国慶節(建国記念日)までの期間、特に「愛国」ムードが盛り上がる時期である。
日本人が中国に対して思うことのひとつに「中国は反日国である」「中国人は日本人を見たら、ぶん殴るから危険」という印象を多数が持っているようだ。
しかし、その印象というのは本当なのか。
中国に反日は本当に存在するのか。
今まで9年超中国に住み、中国人と結婚して中国語を話し、現地の中国人と対等ではないが話をよくして、いろんな経験をしてきた増山の私見を述べる。
この投稿のタイトルにもしている「中国に反日は本当に存在するのか」という疑問。
その疑問の答えを先に書くとすれば、
100%イエスではない、どちらかといえばノーで、20対80か30対70くらいの印象値でノーである。
なぜ100%言い切ってしまわないのかをまず説明する。
ざっくり言うと、中国政府(中国共産党)は日本憎しと考えており、「愛国」を謳っているが、愛国という名を借りつつ特に最近は反日・日本叩きに一生懸命になっている。その部分に明らかに反日の概念があると言える。
押さえておかなければいけないことは、中国大陸のマスメディアには民営など存在せず、100%国営(地方政府の管轄下)であるということ。
だから、古くから愛国的観点としては、中国のこれまでの発展の歩みをドキュメンタリー的な形式にして繰り返し放送してきた。反日的観点としては、チョビ髭の日本兵が散々中国人に嫌がらせするが、戦闘を経て最後は中国は勝利を掴んだ的なドラマ・映画を手を変え、品を変えてやってきた。
現にこの9月からの2ヶ月間、ゴールデンタイムに愛国的・反ファシズム的(表立っていないが、その中には反日要素も当然出てくるだろう)を各テレビ局に放送するように命令を出している。
このように、中国政府は愛国心を煽り、同時に日本憎しで中国という国がいかに素晴らしいかを、延々とアピールしたいのである。
では、市民のほうはどうなのか。
私が中国にいた時、中国人と話すさいに「お前はどこの人間だ」と聞かれたら、
「日本人だよ」と私は答える。
一部では攻撃を恐れて韓国人と偽って説明する人もいるようだが、私は逃げずに堂々と中国人と向き合っていた。
そうしたことで、9年超殴られたこともなければ、日本人は出て行け!と面と向かって罵られたこともない。
中国人と話す中で、共通した中国人が言う台詞は、
「政府は政府、人民は人民」
ということだ。
確かに、私は経験はないが、中国人に殴られ、罵られた人がいるならば、それは正面から向き合わずに、自分の主張だけ話し(日本語だけしか話さないというのも含まれる)、中国人の面子を潰した人である。
外国人が日本語を話したら、日本人は何となく親しみを覚えるのと同じで、外国人が中国語を話したら、中国人は親しみを覚えてくれる。
その流れで反日の流れを出す中国人は誰もいない。
人同士のほかに、政府から流れてくる反日はどう見ているのか。
正直のところ、昔から政府があるのかないのかよく分からない話を脚色しながら、たくさんそういうドラマ・映画とかを見たものだから、完全にお腹いっぱいになっている状況も見逃せない。
ついには、8月14日の中国共産党の機関紙「中国青年報」までが「“鬼子”在哪儿」(“日本鬼子”はどこか)で、
「民族の恥辱と苦難が、気楽にエンターテイメント化して消費されて忘れられている。」
「(この娯楽に)ただ大喜びして、若い世代が本当に歴史を認識しているのか心配になる。」
とまで逆に突っ込んでいる。
人々から見れば、歴史ではなく既に娯楽の類(撮影地の観光アピールにすらなっている)に過ぎず、そもそも政府を信用していない中国人から見れば反日なんてどうでもいいことで、それより暮らしを何とかしてくれよとしか思っていないのが現実である。
だから、どちらかといえば反日なんてどうということでもないのだ。
最後に、2012年9月に中国で展開された”反日デモ”というもの。
知っている方も多いと思うが、あの時”怒っていた”人間は、お弁当とミネラルウォーター付きで雇われた政府関係者か、プラス時給付きで雇われた貧困層の人間である。
確かに、過去の歴史としては悲惨ではあったが、人々は本当は何を考えていたのかを正確に見極めないと、誤解から新たな無用な諍いが起こるということをこの8月15日に考えなければいけない。