“架け橋”という言葉に違和感

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私は以前、中国に9年ほど住んでいました。

自慢できるほど、中国語ができるというわけではないのですが、早々に妻(中国人)と知り合えたことと、その後も日本人コミュニティに依存し過ぎることなく、ローカルで生きてきたので、中国から日本へ帰国して1年半ほど経っていますが、依然中国へスポットで訪問しても基本的なコミュニケーションには困っていません。

私よりももっと中国語ができる”勉強熱心な人”がよく使う言葉として、

中国と日本の架け橋になりたい

という使い方があります。

過ごしてきた文化や教育が違うのだから、完璧な橋を架けるのは不可能

「架け橋」という言葉を使うということは、中国人と日本人の間で相互理解を深めて、もっと相手を知ってほしいという思いが込められているものだと思います。

私個人的には、中国人と日本人の間で本当の意味の友好は成立するのは無理だと思っています。

中国人と日本人の間を断交しろと言っているのではないし、個々人の友好関係を否定しているのではありません。

中国人と日本人は明らかに過ごしてきた文化や教育が違うのだから、完璧な橋は架けるのは不可能だと思うし、歩み寄ろうとしない人を無理に引き寄せようとする「架け橋」だとか「友好」という言葉には違和感を感じるんですよね。

「橋を架ける」のではなく、それを超越したシームレスな仕組みは必要

「架け橋」「友好」という言葉に違和感があるのだったら、なぜ増山は淘宝網なんかやっているんでしょう。

「中国が大好き」「日本が大好き」で必ずしもないとしても、良いと思う商品、使いたい商品というものに国境はありません。

無理に橋を架けなくても、今の時代は現地へ買い出しへ行かなくても入手できる時代です。

私が今までやってきたこと、続けてやっていかなければいけない仕事として、国と国をそれほど意識しないシームレスな仕組みを微力ながら作っていくことだと思っています。

なんだかんだ言って、空と空は境目なくつながっているんですよ。

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